銭瓶峠(ぜにがめとうげ・狭間町)は案内板によると、海抜335メートルにある別府・湯布院・大分・狭間へと通じる十字路。「銭瓶」の由来は、昔泥棒が盗んだ銭を瓶に入れて隠したという言い伝えもあるが、はっきりしたことは分からない。鎌倉時代の大友氏が豊後に入り高崎山に城を築いて以来、南北朝時代肥後・菊池軍を迎え撃った戦いや安土桃山時代に薩摩・島津軍との戦いなど、この峠を主戦場に幾多の戦いが繰り返された。また、この辺りには城ノ腰、米山、七蔵司、妻ヶ城など高崎山城にゆかりのある地名や遺跡がある。
銭瓶峠の道標。北 別府道。西 ゆふいんみち。南 どうしり道。東 府内道。
銭瓶石(ぜにがめいいし・通称かんかん石)。案内板によると、鉄などでたたくとかんかんと響く。これは石の形状と置き方によるもののようで、たたくと金属的な澄んだよい音色がする讃岐石(サヌカイト)のような石の性質によるものではない。何百年も前からここに置かれ、国境の「境界石」に使用されていた。江戸時代中ごろ(1762年)の「銭瓶石騒動」という府内藩と赤松村(幕府領)の農民同士の境界争いがあった。